しどろもどろ

いろいろ

言語化のトレーニング

2日に1度、と書きましたが、新しいことを始めると、連続して継続したくなることはよくある事で、“最低”2日に1本、のペースでしばらくは、と思っています。

 

大学は芸術学部の音楽科、大学院は音楽大学の音楽研究科、と、いずれも音楽を専門的に学ぶ環境に身を置いていて、特に大学院に入学した直後から、抽象的な事物を具象化する能力、がまだまだ未熟で足りていないのを実感することが多くなりました。

院に入学した直後の事件(カルチャー・ショックが過ぎて、もうそれはそれは、自分の中は大事件)未熟さを痛感したきっかけは、論文執筆のためのゼミ、通称論文ゼミでした(通称というか、そのままですね)。

 

各学生が、論文に関するリサーチや研究内容の報告を週替わりで回していく、ゼミ形式の授業なのですが、私の学年は例年にはない「修士課程の学生が1人」の年で……何を意味するかと言うと、ゼミではなくて月に1回の“論文のレッスン”になるわけで……修士や博士課程の審査会を経験した人ならお分かりの通り、2人の先生から、研究や発表の不備、更には態度に至るまで、容赦なく檄が飛ぶ、それはそれは恐ろしい、1時間で身長が2mmになるような、未だ体験したことがない恐怖(文字通り)を経験しました。

 

抽象的な事物・・・私の場合は音楽で、音楽を具象化、つまり言葉に落とし込む能力が未熟な私は、研究の世界の厳しさを知りました。それと同時に、作曲家を志した高校生の頃からの憧れの大学に滑り込み、憧れの先生に作曲を習うことができる浮かれた喜びと充実感が、アクチュアルな壁に激突した衝撃で崩れ去ったような……大きな無力感に打ちひしがれて、4月〜7月は疾風のように過ぎ去ったような、もう本当に、大げさではなくそんな感覚です。

 

とにかくてんてこ舞いの前期を終えて、夏休みを挟んで、先月から後期が始まりましたが、やっと自分が置かれた状況を、冷静に客観視できるようになった気がします。筋力のトレーニングにフィジカルな痛みが付き添うように、研究は思考と言語化のトレーニングで、それによるメンタルな痛みを経験しているのだと。痛みに耐えた先には、目に見える成果が待っているはず。マラソンのように走り切ることが重要である、ということ。

筋トレのような気概と覚悟で、長くない2年間を有意義に過ごそうと、亀の歩みですが精進したいと思う、今日この頃です。このブログも、言語化のトレーニングの一環でぼちぼちと続けたいと思います。